2011年06月15日

フラット・タイア

午前中はルーチンワーク。

午後は卓球練習に行く。
その前に、スポーツ店へ寄って膝関節用のサポーターを買った。2つ買いたかったが、Mが1つしかなかったので、1つ買った。2300円だった。

乱打など、3回に分けて実質1時間練習した。
久しぶりに会った人とも練習したが「すこし肥えたのじゃない」と言っていた。「あれそうかな、」と思ったが自分では分らない。

4時過ぎ帰る段になり、左前輪の空気が抜けていることに気がついた。まさに「フラット・タイア」である。疲れているし、Madzaは定休日だし、困ったが、体育館事務局の若い職員がスペアタイアと交換してくれた。
帰りにYokohamaタイアによって修理してもらう。チューブレスなので1500円だった。刺さった釘の頭は摩滅して白くなっていた。「これはすくなくとも、2、3日前に刺さったもんじゃな」と修理店の主人が言っていた。

帰宅したのは、5時過ぎだった。

夕食時に家内に「肥えたと言われた」と言ったら、「あれだけ間食していれば80kgぐらになったのじゃない?」と言われて愕然とする。そういえば腹周りがかなりだぶついている。間食はやめようと決意する。
どうやら朝の薬の前に、朝食をしないから、お菓子とかジュースとかを飲んでいるのも間食が多くなる大きな原因だ。

夜は、講話の資料作り。「私の戦争体験ー疎開そして母の死」と云うタイトルにした。
PowerPointで8枚のレジュメを作る計画を立て、5枚を完了する。

  


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2011年04月22日

今朝は朝から快晴!

 朝食はシリアルに生のブリーベリーとブラックベリーを入れ、オレンジジュースとコーヒー。
 10時開館のスミソニアンに向かうためにバスに乗りペンタゴンで地下鉄に乗り換える。本日もエスカレーターが1台故障中である。故障は日常茶飯事のようで皆さんエスカレーターの上を歩いています。

 まずはナチュラル・ヒストリー館に向かう。この建物は1937年に建設され大きな円柱が並んだ入り口が印象的な建物です。

 内部は1階に93の展示室があり地下には40室があるので、とても全部を見ることは出来ません。
 気に入った感じの部屋だけを適当に見ていても時間が過ぎてしまったので、地下のカフェで休憩と食事をしてから地下の通路を通って東館に移動する。
 ここは全ての建物が三角形に設計してあり丁度ゴーギャンの展示が行われていました。新聞では2,3日前に絵を持ち去ろうとした女が逮捕されて、その絵の場所が空白になっていましたが、傷もなかったので僕達が行った時は普通に展示がしてありました。

 この後は野外の彫刻の森に行きました。中央には冬になると野外スケート場になるという大きな噴水があり、その周りに色々面白い展示物が置いてあり沢山の観光客で賑わっていました。

 何しろこの信じられないような大きさの美術館の全てを無料で見ることが出来るのはワシントンDCの大きな魅力です。
 日本だったらゴーギャンの展覧会なら並んでチケットを買い、何重にも警備された部屋で後のほうから見なければいけませんが、ここでは無料でロープも何も無い状態で見ることが出来るのです。
 古い絵画の前ではキャンバスを立てて模写をしている人もいました。
 古い教会のようなインフォーメーション・センターは内部が綺麗に保存され、庭も幾何学的に配置されて沢山の花も植えてありました。

 この日は1日中スミソニアンを見てまわってからバスでチャイナタウンに向かいました。
 このチャイナタウンは看板は英語や中国語で書かれていますが、現在は殆どがアメリカ人の経営になっているそうで、店舗もいわゆる中華街とは違って綺麗すぎます。
 昔は中国人が住んでいたのですが、スポーツ・センターが近くに出来て人々が来るようになったら、家賃が上がり中国人が引越してしまい白人の町に変わったということです。
 
 ワシントンの町は古いものが保存されている場所もありますが、時代と共に絶えず移り変わっているみたいでした。

  


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2011年02月25日

散歩

今日はお昼前から別府駅まで行って、天丼を食べました。
実はネットで美味しいって教えてもらって、昨日行ったんですが休みで、悔しかったから
カウンター席に通され座った瞬間から小さいソワソワって感じで、味わう暇なく平らげてお店を出ました。
多分美味しかった様な気がします。

そこから、動悸が、急いで高架下の薬局で、色々と探したんですが、「求心」。箱を開けてビックリ思わず「小さ」コマーシャルとは大違い。って場合ではなく、ふたつぶ飲んだら、ホンの五分でちょっとスッキリ。
でも、バスに乗る事が出来なくて、まあ歩くのも良いかって、
歩き始めました、やはり動悸とはいっても不安感からくるヤツだったので徐々に戻って来て、ただ、歩いているので余り気にならなくなって。
そしたら、またまたネットで教えてもらった、コーヒー屋休憩しよって入りました。
「ホット」って注文してから、さっきの数十倍のソワソワ、コーヒーが出てくるまでの時間が長くて苦痛で、一気飲みして店を飛び出しました。
道路を挟んで前にある大きな公園で、独り落ち込み。
新たな病状にどうしようも無い気持ちになりました。
今までこんな事無かったのに

ビーコンプラザ、杉の井ホテルを横目で観ながら、トボトボ居候先まで約二時間の散歩でした。

  


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2011年02月17日

いざという時の自分

昨日の日記からまた別の話を思い出した。
思い出話ならいくらでもできるが、聞かされる方はたまったものではないかもしれない。
でも話します。しかも、長い。


20代の時、私はとある会社に中途採用で入社した。
私が初めて所属した部署の私の上司が大山課長(仮名)だ。
大山さんは30代後半の独身男性、少し小柄で少し太め、気さくで話好き、そしてよく笑う人だった。
私はすぐに大山さんと出会い打ち解け、仕事を離れれば普通の友達のようになった。
大山さんと私、それに社内の数名、おもに私と同年代の気の合う同士で、よく食事に出かけたものだし、大山さんの家に集まってわいわい騒いだりもした。

楽しい日々だったが、2年ほどして大山さんは会社をやめた。自分で会社を興すためだった。

大山さんはその仕事を始めるに当たり、社内で親しくしていた2名の男性と私に、その話に乗らないかと持ちかけた。
池袋に小さな事務所を借り、そこを設立準備室とした。
私はとりあえず事務作業を手伝うことになり、大山さんからパソコンを借りて、メーリングリストを作成していった。
大山さんはその仕事のために自宅マンションを売ってお金を作ったらしい。背水の陣というやつだろう。

大山さんが会社をやめた頃、私のいた部署は御茶ノ水に移転しており、大山さんが声をかけたほかの2人も、御茶ノ水の事務所勤務だった。
私たちは仕事が終わるとよく、池袋の事務所に集まっていろいろなアイディアを出し合った。
そのまま池袋のビアホールに行き、深夜にみんなでタクシーに相乗りして帰宅したこともある。
また、大山さんと私の二人だけで池袋で待ち合わせて、一緒に帰ったことも。
大山さんはいつも特急券と缶ビールを私の分まで用意してくれて、所沢までの一区間、私たちは音楽や小説の話をして過ごしたものだ。

しかし結局、起業はなくなった。
資金を提供した大山さんは当然社長になりたがり、ほかの2人は使われる立場になるのを嫌がったためらしい。
大山さんは別の人と二人で、当初のアイディアとは別の仕事を始めた。
私が大山さんに言われたのは、自分と一緒に仕事をしても苦労するだけだ、というものだった。

その後20年もたち、いつの間にか大山さんの連絡先は分からなくなっていた。

そんなある日、私が最初に配属された部署の女性の先輩と、電話で話す機会があった。
先輩と話すのもずいぶん久しぶりなので、お互いの近況を報告し合ったあとは、当然のように、会社のあの人は今どうしているかというような話になった。
その中で大山さんの話も出てきた。

そういえばねえと先輩。大山さんにお金を貸しているのだけど、どこにいるか分からなくなっちゃったんだよね。大山さん、目を悪くしたみたいなんだけど、どこでどうしているんだろう。もうお金は返してもらえないかもね。

私は心底驚いて、先輩との援助を切った後、大山さんの居場所を知っていそうな人に電話をかけた。
大山さんが起業しようとした際に声をかけた中の一人で、彼はその後自分で会社を立ち上げ、数十人の社員を従えて日本と東南アジアで仕事をしている。
聞いていた会社の番号に電話して、こちらでもしばらく近況報告し合った後、もし知っているなら大山さんの連絡先を知りたいと話した。
黙っているべきかとも思ったが、実は大山さんは目を悪くしているらしいこと、そのためもあってか、大山さんにお金を貸している人がいることも話した。
すると彼は笑って言った。「俺も30万ほど貸してるんだよねえ」
彼は大山さんに対して、憐みの気持ちをもっているようだった。大山さんの居場所は分からない。お金のことは諦めているのだと言った。


結局、大山さんの居場所は今も分からないままだ。
借金は借金のままだ。
しかし私は大山さんが、元々平気で借金を踏み倒す人だったとは思っていない。

明らかな悪人も見た目で判断できる人ばかりではないだろうが、皆から善人と呼ばれる人がいざという時にどうなるのか、それはきっと自分でも分からないはずだと、その時に私は理解した。

いざという時にも、いろいろとあって、その大きな「いざ」の時には、善人だったはずの人の幾らかも大きな罪を犯すのかもしれない。
大きな「いざ」はもとより、小さな「いざ」もなく人生を終えたいと望むのかどうかは、人それぞれだろう。
いざという時、醜い自分を知ってしまうかもしれないし、逆に自分に新たな誇りを持てる、そのきっかけになるのかもしれないのだから。  


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2011年02月09日

お払い箱?

この正月、兄たちは母親に挨拶にも来なければ電話もなかった。
先週末集まったときに私はそのことで怒って、興奮からまたパニック発作。
そのときに突然、二階に住む兄嫁が末期がんと診断されたと聞かされた。
私は発作が治まらず、兄たちだけで話を続けてた。

兄嫁のことは衝撃だった。
その大変さを考えたら、自分が持ってた不平不満なんかつまらんことだ、と思えた。
二階の負担にならないように、感謝の気持ちで母親の世話をしようと思って1週間経った。
兄嫁の通院や療養の手伝いも出来るな、と。

今日、また兄たちが来て、隣の市に住む長男家族が
(いまのところは狭いので)部屋を借りて母親を引き取ることになった、と。
家賃は母親の負担で、と。
もう手続き済みで、引越しの日にちまで決めてあって、ただの事後報告という形で。
私のような不安定者はダメだって。お払い箱ですわ。

二階の兄夫婦に負担がかからないようにしなきゃとは思ってた。
兄嫁は階段の上り下りが大変だろうから、1階を空けて、母親と二人で部屋を探そうかとも。

半年かけて歩行もしっかりしてきたし、体操の効果が出て減ってきたし、
母親と私の生活のペースがやっと出来てきたところなのに、
また強いストレスがかかれば、彼女の生活の質が大きく落ちる。


兄たちにそれを言っても、もう決まったから、の一点張り。私には理解できない出会い
母親の前で言い争いはしたくないので、渋々、
というか反対は表明したけど。なんせ事後報告。

長男の嫁は、根は悪くないけど、
人の話を聞かず一方的に話しまくる人で、私は苦手。
母親が遠慮して小さい背中を丸めてる姿を想像すると涙が出る。

高齢(もうすぐ92歳)で環境が変われば、認知症が進むのは確実なのに。
以前のように妄想も激しくなって、自尊心深く傷つくだろうなー。
あー、ため息ばかり。神も仏もないものか…。  


Posted by gyaos823 at 11:57Comments(0)

2011年01月31日

運動不足?

最近は寒い日が続いてずっとストーブの見張り当番です。
なんだか体がなまってしまっています。足の指先が痺れを通り越して痛みが出てきました。運動不足かなと思いコンデジをポケットに入れてポイント無料出会い系サイトで八代市内を回ってみました。約1時間半くらい回りましたがコンデジのシャッターを切ることは1回もありませんでしたが、少しからだが軽くなったような気がします。
最初は図書館に行く予定でしたが今日金曜日は休館で閉鎖されていました。何で休館?と思ってしまいました。それで生まれ育った昔の町や商店街のアーケードも通ってみましたが本当に人が少ないですね。店は閉まり地方の商店街は全国似たり寄ったりの閑古鳥が鳴いているんでしょうね。
  


Posted by gyaos823 at 13:29Comments(0)

2011年01月28日

NARA いにしへの炎

1/22(土)
NARAに行きました。
今日は、若草山の山焼きです。

あまりに寒いので行くのを止めたかったのですが、
(九州育ちは冬は苦手です。 f ^_^; )
気がついたら無料の出会い系サイト行きの電車に乗っていました。

西ノ京の薬師寺からはるかに若草山を・・・と思いましたが、
今からでは、場所があいてないと思い
奈良市内の猿沢の池に行きました。
池は低い位置にあり、興福寺に五重塔を入れると
肝心の若草山が見えません。・・・あきらめました。

残るポイントは1つ・・・・

山焼きの前に200発の花火が上がります。
冬の花火は空気が透通っているのかきれいです。
わずか200発ですが、見ごたえのある花火でした。
見とれて写真はあまり良くありません。(反省!!)

花火が終わると東大寺の向こう側がほんのり明るくなってきました。
火はどんどん大きくなり紅く燃え上がります。

東大寺の屋根も紅く染まりシルエットに浮かび上がります。
30分ぐらいに感じましたが、メル友が作れるサイトが山の頂上に達する頃には
だいぶ衰え誰が告げることもなく終わりを迎えます。

炎の勢いのよかった分、終わったあとの空虚感は否めません。
  


Posted by gyaos823 at 11:38Comments(0)

2011年01月27日

渋谷もサッカー日韓戦も熱かった日。

25日・・・フル回転の一日。

東方神起~大好き!な、友人家族のお陰で【SMTOWN LIVE】に
行くことが出来ました~。
本当は仕事も休みで、新大久保→渋谷の予定でしたが・・・
熱でダウンした同僚のピンチヒッターで急遽勤務。
バタバタ出かけてしまったため、携帯は忘れ、双眼鏡も入れ忘れ、
トホホ!なスタート。
それより、開演6時に間に合うの?・・・と必死で原宿駅から走りました~。

観客~若いですね・・・年齢層が本当に変わりましたね。。
ちょっと、その場に身を置く事・・怯んでしまいました。

出演者はそれぞれのパフォーマンスはじめ、色んな方達とのコラボや凝ったSNSを利用するならここでしょ。で楽しませて貰ったんですが・・
正直、私達・・トン◎、スーパージュニアと少女時代が多少分かる位なんで、デュエットしてるのは?ダンス合戦してるのは?どのグループの誰と誰??・・で m(__)m。。

少女時代は、りかちゃん人形みたいで本当にスタイル良くて、可愛い~!
BOAは暫く見てなかったけど・・すっかり大人の女性ですね。

・・・で、東方神起→登場がワイヤ~なの?!
なんと言っても声援が一番でしたね~。
待ちわびていた久々のユンホとチャンミンのステージでしたから、会場が湧いた!!って感じでした。さすが!です。
でも、JYJの時も思ったけど・・誰かがいないトンは忘れものをしている気分です・・・特に5人で歌っていた曲を聴くと改めて残念な思いです。。

多分、元HOTのメンバ~?バラードさすがの上手さ。
千の風を歌った3人、鳥肌ものでした~!
ペンライトも貰ったし・・3時間半以上?の長時間でしたがとても満足なLIVEとなりました~。

そして・・チャンミンが、これから日韓サッカー戦を観なくちゃ~と言っていたように~これ又楽しみにしていたので・・大急ぎで帰路!
家に着いたのは11時半を回っていた。。
もう~こんな手に汗握る試合ですもの・・・お風呂に入るのも後回しでしっかり観戦!
PK戦で泣いた試合も記憶に新しく・・・決まった瞬間ヤッタ!の
ガッツポーズ!でした~。
韓国の皆に楽しませて貰った後だけど~ここは譲れません~。

長女が高校生の頃、横浜マリノスを応援していて・・当時は観戦にも行ったりと、結構・・サッカーに熱い時期も有りましたが・・最近は
大きい試合しかTV観戦しませんね。。

・・・そんな熱い一日を過ごし、殆ど眠ることなく(興奮もあり~!)、次の日もピンチヒッター勤務は続き、昨夜はヘトヘトでしたo(>_<○〃
自業自得ですので誰にも文句は言えませんが・・・遊びにもそろそろ
体力を考えないとだめですね。。  


Posted by gyaos823 at 16:53Comments(0)